おはようございます!!
今日は最近のコロナウイルス問題で、マスクなどの生活物資を買い占めての転売が横行したり、トイレットペーパーがなくなるというデマに踊らされている人間が増えているようなので、その原因を私なりに考えてみました。
それではどうぞ!!
今回のコロナ問題で人間の醜さが露呈
今回のコロナ騒動では、嘆かわしいことに人間の醜さが露呈しています。
マスクやトイレットペーパーを買い占める転売ヤーの存在
まず、マスクやトイレットペーパーを買い占める転売ヤーの存在ですね。品薄というニュースやSNSが流れた直後に、メル〇リなどのオークションサイトで通常の何倍もの価格で売られている品物たち。
まだコンサートチケットとかなら買わないと言う選択肢はできるのに、生活必需品なのでないと困る。とても悪質だなと思ったし、見るととてもガッカリするんですよね。。。
今週になりやっと政府がマスクの転売禁止のため動きましたが、今では駆け込み転売が相次いでいるようで、本当にアホか!!と思います。
デマに踊らされ様々なものを買い占める人たち
SNSでのトイレットペーパーがなくなるというデマを信じてトイレットペーパーを買い込んだ人たち。実際にデマではなく、トイレットペーパーを普通に買えるようになるまで2~3週間かかってしまいました。
なくなったら困ると1、2袋購入したのならわかるのですが、10袋とか買い占めている人はいったいどこを拭くのやらwww。自分たちの行動が品薄に拍車をかけているのはわからなかったのか疑問です。
私はこのデマは転売ヤーがトイレットペーパーの値段を吊り上げるために流したデマだと思っています。デマの踊らされている人は、転売ヤーが儲ける手助けをしたということを分かった方が良いと思います。
9年前の東日本大震災時、日本人はもっと思慮深かったと思う
振り返って9年前の東日本大震災で、私も被災して、電気ガス水道が無い状態で1週間以上過ごしました。もちろん、様々な物品が不足していました。
そんな中でも、何時間も列に並び、必要なものだけを購入し、暴動も起こさない日本人の姿は世界から絶賛されたのは記憶に新しいです。私も、もの1つ買うためや水を配給してもらうために何時間も並んだのでよく覚えています。当時もトイレットペーパーやマスクの買い占めはあったと記憶していますが、今回ほど酷くはなかったです。
当時の日本人はお互い様という意識と、助け合いの精神があったと思います。
9年間で日本はどう変わった?
東日本大震災が発生した2011年から2020年までの間にどう変わってしまったのか考えてみました。
貧富の差が拡大し、自分さえよければ良いという考えが蔓延した
まず、日本全体が肌感覚でですが貧しくなったと思います。そして、貧富の差が確実に広がりました。最近では自己責任という言葉も良く聞かれるようになりました。自分さえ豊かであればよいという風潮にもなってきていると思います。一言で言うと、世知辛い世の中になったなと感じています。
時間とお金に余裕がなく、自分の頭で考えることを放棄する人が増えた
現代人は時間とお金に余裕のない人がとても多いです。余裕が無いと、自分の頭で考えて行動することを放棄し、日々惰性で生きるようになります。考えることを放棄すると、上述したトイレットペーパーのデマなどの情報に振り回されるようになります。
ということは、考えることを放棄すると一生誤った情報に振り回されて、搾取される側の人生を送るということです。ちょっと考えたら分かるはずのことなのに、そのちょっとが出来ない。嘆かわしい状態だと思います。
余裕がなくなるとどうなるかは、この記事を参照してください。
『衣食足りて栄辱を知る』人間が人間であるためには余裕が必要
『衣食足りて栄辱を知る』とは、ただの動物である人間が、衣食足りた(余裕がある)状態になって初めて、恥や礼を考えられるようになるという意味です。この諺通りだと、人間が”動物”でなく”人間として”生きていくためには余裕(金銭的にも時間的にも)が必要なのです。
今の日本では『衣食足りて』ない人間がかなり増えたような気がします。とにかく自己中で、言葉は悪いですが、人間の皮を被った動物と言いますか。もちろんそうでない人もたくさんいるのはわかってますが、転売ヤーなどのニュースを見るたびにガッカリしてしまいます(嘆かわしい・・・)。
私も社畜時代は、周りの人間の上げ足を取ることばかり考えていたので、余裕が無い状態とは本当に恐ろしいです。今では職場環境(考え方も)が変わり、余裕を持てるようになりました。結果として、行動が変わりましたし(人に喜んでもらうためにはどうしたら良いかを考えるようになった)、金銭的な余裕も出ました。不思議なものですが、マハトマは余裕を持って生きてきたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。